うぱさまさんインタビュー【前編】:失恋と数学がもたらした仏教との出会い

若くして仏教と出会い、主にテーラワーダ仏教を学ばれている、うぱさまさん。ミャンマーでの出家経験もあり、その見識の深さと広さは現役のお坊さんも舌を巻くほど。

今回は、うぱさまさんがどのような人生を歩み、どのように仏教と出会ったのかお聞きしました。

〈聞き手=道宣〉

うぱさま(Vupasama)

1993年生まれ、徳島県出身。中学まで地元で暮らした後、高校は京都の有名進学校で寮生活を送る。東京理科大学を卒業後、名古屋大学大学院に進学するも中退し、ミャンマーで一時出家を経験。その後還俗し、現在は東京のコンサルティング会社に就職して多忙な日々を送っている。

常に渇いていた10代

こんにちは!

今回は、若くして仏教の実践や知識に精通しているうぱさまさんが、どのような人生を歩んできたのかをお聞きします。

タブーなしでお願いします!

よろしくお願いします。

まずは幼少期についてお聞きしたいんですが、どんな子供だったんですか?

幼少期は物欲がすごく強かったです。なんというか「渇き」がすごく強かったと思います。
その「渇き」を癒す方法が、モノを買ってもらうことでした。

情動に従ってモノを買ってもらうと、その「渇き」が一瞬癒えるんですよ。だから「あれもほしい、これもほしい」となっていました。

「買ったらすぐ飽きて、全然使わなくなる」と親からもよく文句をいわれていました。

「渇き」を癒やすためにモノをねだるわけですね。

幼少期はおもちゃがそうでしたね。そして成長すると「渇き」を癒す方法が「女の子と両想いになる」ことへと変化しました。

女の子と両想いになるですか!?

これまでは、周りの友達が持っていない「おもちゃ」が欲しかったんですけど、成長するとみんなが憧れる「学年のマドンナ」が欲しくなったんです。

渋谷のカフェでお話を聞きました。
渋谷のカフェでお話を聞きました。

おもちゃ女の子は違うように思いますが…

根本は一緒なんですよね。多分。

それで、表現は良くないですけど「みんなが好きなかわいい女の子と両想いになる」ことが生きる楽しみの一つになりました。恋愛ジャンキーだったかもしれません。

ただこれは遊びではなくて、一人一人本当に好きになった人に対して真摯に行っていたということは留保しておきます・・・

今のうぱさまさんからは想像できないです・・・

実は小・中学生のときから、自分のなかで自分なりのメソッド(方法論)みたいなものを作っていました。

こんなプロセスを踏んだら相手の感触がよくなったとか、告白したときの成功率が上がったとか、そういったデータを積み上げていくものなんですけど。

独自のメソッドの詳しい解説をするうぱさまさん
独自のメソッドの詳しい解説をするうぱさまさん

まるで研究のようですね

良い印象ではないかもしれないですけど、やってるときには「渇き」が少なくなるんです。

「渇き」を一時的に忘れさせてくれるんですね。

あと、高校時代に数学に出会って「渇き」が緩やかになったことも、人生で大きかったと思います。

女性の次は数学ですか!

同じクラスの友達に『解析概論』(大学数学の教科書)を中学生の頃から読んでいる友人がいて、その子と仲良くなることで、僕も数学をやるようになりました。

数学と「渇き」はなにか関係があるんでしょうか?

例えば数学やってる時って、一つの問題を何日も考えたりするんですよ。

そうすると、「渇き」が湧き出てくる間がないんです。

ずっと数学の問題に没頭することで、「渇き」から離れていたように思います。

また、問題が解けた時の快感も「渇き」を忘れさせてくれました。

物欲や女性欲、数学への没頭の根底には「渇き」から離れたい気持ちがあったんですね。

そうですね。

あと、高校生のときに、これまでとは別の仕方で渇きがなくなった経験があるんです。

どんな経験だったんですか?

学校の図書館がとても大きくて、高校生が絶対に読まないような本がたくさんあったんです。

本が好きだったのでよく図書館には行ってたんですが、たまたま一休禅師(室町時代の禅僧)に関する本を読んだんです。

どの本を読んだかははっきり覚えてないんですけど、本を読んだときに、今から振り返ると瞑想で生じる静けさが自分におこりました。

静けさとは正反対の街を闊歩
静けさとは正反対の街を闊歩

偈を読んで生じるような静けさにも近いですね。

禅的なものに触れて、漠然とした死の恐怖とか、「渇き」とかそういったものが一瞬全部なくなるんです。

心安らかで、心が洗われるような、今までとは違う経験があったのを覚えています。

素晴らしい体験ですね。

そのあとすぐ忘れちゃうんですけどね(笑)。

今思うと仏教の原体験ではあるかもしれないです。

その後は仏教の本を読んだりしましたか。

いや、高校のときは仏教には全然興味なかったです。

数学への没頭もあって、結局その後は「優秀である」ことが自分のアイデンティティであり、生きる価値なんだ、という方向に進んでいきました。

だから危うさはありましたし、非常に苦しかったです。

進学校に通われてましたが、逆にこれまでは「優秀である」ことは重要ではなかったんですか?

全くなかったですね。

中学までは、面白いとか、喧嘩が強いとか、そっち方面を大事にしていましたね。

グラップラー刃牙が愛読書でした。

意外です…!

『グラップラー刃牙』はこんな漫画らしいです。
『グラップラー刃牙』はこんな漫画らしいです。

僕が通ったのが、公立の小学校だったのも関係あるかもしれません。

将来ヤンキーとして大成していく人たちとも仲が良かったです。

賢いことはそんなに重要でなくて、それよりも可愛い彼女と付き合ってるとか、喧嘩が強いとか、ヤンキー的な価値のほうが重要でした

なるほど。

高校に進学すると、そういった価値観を周りが持ってないんですね。

あと僕が思っていただけかもしれませんが、どれだけ数学ができるかが一目置かれるポイントではあったような気がしていました。

だいぶ変化がありますね!

ライフステージが変わる中で自分のどこを強くしていくべきかの意識は大きく変わったと思います。

そしてどんどん数学に没頭していって、将来は数学者になりたいと思うようになりました。

大学に入る前から数学者になりたいと思ってたんですか?

そうですね。

高校数学だけじゃなくて、大学数学を取り入れていくスタイルで勉強してました。

失恋、そして仏教との出会い

仏教との本格的な出会いはどのような形でしたか?

それは浪人時代ですね。

大学進学のために東京の予備校に通うことになるんですけど、高校の寮生活という抑圧された環境から一人暮らしになりました。

そこで、今まで目にしてきたどの女の子よりも可愛いと思う女の子に出会いました。

ここでも女性の影が!

ロシアンハーフの女の子に出会ったんです!

もう見た瞬間に「めちゃくちゃ欲しい」と思いました。

「欲しい」ですか。

当時は普通に一目惚れだと思っていたんですが、今のパースペクティブから見ると一番近いのは「欲しい」という情動だったと思います。

相手を自分に取り込みたいという感情に近いですね。

その感情の違いは興味深いところですね。

彼女をみて、これまで積み上げてきたメソッドを完成させるときがきた!と思ったんですよ(笑)

ついに…!

当時その子には彼氏がいたんですけど、「一ヶ月以内にあの子と付き合う」と友人に宣言して、実際には2・3ヶ月かかりましたけど、付き合うことに成功しました。

私はどう反応したらいいかわかりませんが…(汗)

付き合えたときには、今までの自分の人生はこの時のためにあったと感じました。

でも、これまで培ってきたメソッド・技術を全部使って付き合うことに成功したら、今度は猛烈な執着が湧くんです。絶対に手放したくないと。

そして今じゃ絶対考えられないですけど、猛烈な束縛人間になってしまいました。

束縛…どんなことしたんですか?

最低なんですけど、相手のメールを見るとか、今どこにいるのか常に把握してしておきたいとか、いろんなことをしましたね。

今のうぱさまさんからは考えられないですね。

当時の自分を擁護するわけではないんですが、人間の気持ちはどうにもならないことはわかってたんですよね。

相手を束縛する人間は相手を信頼していないとよく言われますが、それは全然違っているんです。

誰を好きになるとか嫌いになるとか、人の心は主体的に選べないんですよ。

人間は好きになる人を自分の意思で選べない、ということですか。

これまで僕は、彼氏がいる女の子にアプローチをかけて、何回も相手を落とすことに成功していました。

人間の心はある意味機械的であるから、機会さえ生じてしまえばその人の決意や意思とは関係なく好きになってしまうことを知ってたんです。

(そもそもそういうのになびくような女の子とだけ付き合っていたのでは?という批判もなりたちますが…)

今の彼女さんには束縛していないそうです。
今は束縛していないそうです。

だから接触機会を奪おうと思ったんです。

相手が誰かを好きになる機会さえ奪ってしまえばいいと…

だから、束縛するのは確かに浅はかで愚かですが、ある限定的な意味では正しいということも否定はできません。

(なんか言いくるめられている感)

そして浪人中の成績はよかったんですが、受験に向けた勉強をしていなかったのもあり、またもや失敗してしまいまして…

受験に失敗したら、絶対に自分から離れないと思っていた彼女も離れていってしまいました。

ああ…

 僕のアイデンティティは「優秀である」ことで、またそれを中心とした友達作りをしていたこともあってか、受験に失敗すると友だちだと思っていた人たちも離れていきました。

辛いですね…

当時は圧倒的孤独を感じて…

さらに自分の生きる意味、目的になってたような女の子にも振られてしまって。

私の世界の中にいた彼女は、決して自分を離れる人間でなかったので、「今まで自分が彼女だと思っていたものは、自分が作り上げた幻だった」と文字通り「幻滅」(幻が滅する)しました。

・・・

非常に苦しかったです。
当時は本当に死のうと思いました。

自分の生きる意味は、その女の子と一緒にいることの上に築き上げていたので、土台が壊れたら全部ないのと同じなんですね。

さらに、自分の優秀さというアイデンティティも崩れたので、生きている意味が本当に、本当にないと思ったんです。

だから川へ飛び降りて死のうと思いました。

死のうとまで…

でも入水自殺はできませんでした…

怖かったのもありますが、通りがかったおじさんが「まだまだ死んじゃいけないよ」と止めてくれました。

そのときは興を削がれたというか、なんとも言えないのですが結果として死ぬのをやめたんですよね。

でも、死ぬのをやめても苦しいままですよね。

はい。

そこからはよくわからないままに、「苦しいときには宗教だろ!」と思いました。

そこで自分を救える宗教はないかと思って、いろいろ探したんです。

どんな宗教を探したんですか?

キリスト教、イスラム教、大乗仏教とかを見ていました。

そんな時期に、たまたま帰省したタイミングだったんですが、母が父の本を間違えて僕の部屋に置いていたことがあったんです。

それが知的唯仏論という本でした。

その本の中でゴータマ・ブッダの教説の構造というのが簡単に解説されていたんですね。

それを読んで「これしかない!」と思いました。

宮崎哲弥さん、呉智英さんの対談本『知的唯物論』
宮崎哲弥さん、呉智英さんの対談本

なるほど。魅力的に感じたのはどのような部分ですか?

これまで自分が知っていた仏教(大乗仏教)とは違う、ということですね。

その時書いてあった説明を今でも覚えているんですけど、数学によく似てることが説明されていました。

つまり、ゴータマブッダの仏教の教えは認めなきゃいけない「公理」のようなものがいくつかあって、いったんそれさえ認めてしまえば、すべての教義はそこから論理的に導出できる、ということが書いてあったんです。

これは数学の公理論と同じで、公理自体は認める必要があるんですけど、その後の展開は全て論理的に記述できるという数学的な世界観と非常に近いと思ったんです。

さらに仏教では、その公理自体も鵜呑みにする必要はなくて、その公理を自分で体験して体に落とし込むのが瞑想だ、みたいなことが書いてあったので、「仏教は完璧だ」と感じました。

数学と仏教がつながったわけですね。

仏教をやろうと思った最初のきっかけですね。

最初に読んだ経典とか覚えてますか?

中村元先生が訳した『スッタニパータ』と『ダンマパダ』です。

当時はあれだけがゴータマ・ブッダの言葉だということになっていたので。

まあ今でもそうだという意見の方々はいらっしゃるようですが…

それは一旦おいておきましょう(笑)

とにかく『スッタニパータ』と『ダンマパダ』を読んだらドンピシャだったんです。

自分が今までの人生で苦しいと思っていたことが全部書いてあった上に、その原因と対応策もあると記されていました。

読んだ後には、「残りの人生はこれを実践するために生きよう」と決めました。

本が仏教との本格的な関わりを作ったんですね。

そうですね。

『知的唯仏論』は『スッタニパータ』と『ダンマパダ』 に出会うための呼び水でした。

仏教徒になろうと決心した、いわゆるコンバージョン(回心)の体験はそこでしたね。

日本仏教に大きな影響を与えた二冊
日本仏教に大きな影響を与えた二冊

受験に失敗して、友だちが離れ、彼女も離れて、死のうとした中で出会ったのが仏教っだったと。

19歳のときでしたね。

家族を見ても幸せそうだと思えなかった。

当時まだ10代で将来有望にも関わらず、そこから一気に仏教にのめり込んだのは何か理由があるんですか?

幼少期からあまり未来に希望がもてなかったんですよね。

実は、僕の家系はいわゆるエリート一家でして…

エリート一家!

ちなみにどのようなご家族なのですか?

地元では有名な、社会的には成功者と見なされる士業の家系でした。

だから、エリートや成功者と言われる人がもってるものをずっと家で見てきたんです。

例えば祖父なんかは、ご飯を食べる・酒を飲む・部屋で寝転がって野球や相撲をみる、の3つを繰り返すのが人生といったように僕の目には映りました。

成功しても最終的にはそういう人生になるんだったら、成功する意味って何?って思ってしまったんです。

父も社会的には成功している人間だと思いますが、僕は家族を見て最高に幸せだと思わなかったんですよ。

人生に失敗して卑屈になっていたので特にそんな風に思ってしまいました。

なるほど。

めちゃくちゃ努力して頑張って、ようやく成功を手に入れても、家族のようになるだけだったら生きる意味ってあるのかなと思ってしまったんですよね。

仏教に惹かれたのも、ご家族を見てきた原風景が大きく影響しているんですか。

そうだと思います。

結局、女や金や感覚器官を喜ばせるようなものしかないんだな、と強く思ったんです。

美味しいご飯食べたり、美味しいお酒飲んだり、きれいな女の人と付き合うとか。

もちろん世俗の幸せはそれだけではないと思いますが、当時はそれしか見えませんでした。

それを手に入れるために、苦しい思いをして努力するっていうのは非常に滑稽だとも思いました。

そんな環境だったからこそ、仏教の道に邁進するわけですね。

最初はテーラワーダ仏教ですぐに出家するつもりでした。大学にも行かずに。

ただ、親の許可がないとテーラワーダ仏教では出家できないんです。

それに20歳になるまで比丘出家ができないので、親に相談したんです。

そうしたら出家するのは反対で、せめて大学は卒業しろと言われたので、とりあえず大学に入って瞑想しながら数学をやることにしました。

↓次回↓