前回の記事は、ミャンマーでの修行に至るまでの経緯、そして現地で触れた仏教について、瞑想体験を含めてお聞きしました。
今回は、日本に帰国後、仕事をしながら仏教実践とどのように付き合っていくかをお聞きます。
〈聞き手=道宣〉
日本に帰国後、仕事と仏教の関わり方について
日本への帰国は予定通りだったんですか?
いや、それが違ったんです。
入社予定の会社に健康診断を提出する必要もあって一時帰国をしたので、会社側に必要な書類を提出したらすぐにミャンマーに戻ろうと思っていました。
サヤドーからも一度還俗するなら戻っていいと許可をもらって、日本に帰国しました。
でも、日本に帰ってきたときに新型コロナウイルスが世界的に流行したんです。それで帰れなくなったんですよ。
だから、いまだに荷物とかも全部ミャンマーにあるんです。
ちょうどコロナウイルスのタイミングだったんですね
はい。なので残りの期間は亡くなった祖父の家に一人で住んでリトリートを数カ月間行いました。
これまでのお話を聞いていると19歳から今まで仏教漬けといっていいと思いますが、現在は有名なコンサルティング会社で多忙な日々を送っていますよね。
仏教実践と仕事の関係など、そのあたりのお話が聞けたらと思います。
最初は働くのが嫌すぎて心因性の発熱がでました(笑)
これまで瞑想しかしてないような生活だったのに、仕事では自分と全然違う生き方をしてきた人たちと関わらなきゃいけないわけです。
初めはあまりにもモードが違うので辛かったですね。
嫌すぎて発熱とは、大変でしたね…
まあ環境には慣れるんですけど、慣れる過程で特徴的だったのは、瞑想時間が極端に減ったことと、人としゃべる時間が増えたことですかね。
そのモードチェンジは大きいと思います。
そのモードに自分が慣れていくことに、喪失感というか、何か抵抗感はなかったんですか?
瞑想時間が減っても残り続ける影響はあったんですよ。
ミャンマーでの瞑想体験の影響はその後も残り続けてたんですね。
その残滓が自分を支え続けたという感覚があったかもしれないですね。
体験の余韻を感じていたんですね。
ただ実をいうと、今はほとんどありません。
ほぼ記憶の領域だけにあるような、夢と変わらないようなところまで薄れています。
そのことを想起すると、多少静けさの残滓が現れる程度です。
でも、その体験が強烈的だったのは、仏教の理論とか、哲学とか、頭で考えたものは大して意味がないなと思うようになったことです。
昔は理論はめちゃくちゃ大事だと思っていたんですけど、体験以降は理論も大事だよねっていうスタンスに変わりましたね。
それは大きな変化ですね。
体験偏重ではないんですけど、言葉で語られたものはそこまで意味があるものじゃないなと。
そういった価値観の変容がありました。
哲学とかも好きで昔はいろいろ読んでたんですけど、ごくごく一部を除いて一切読めなくなりましたから。
なるほど。
でも体験の残滓が薄れるにつれて、また読むようになりました(笑)
体験の残り香と理論的な勉強に対するモチベーションは私の場合はリンクしてるようです。
あと仕事する上で一番大変だと思うのは、戒の問題ですね。
テーラワーダの戒を厳密に守ろうとすると、例えば休憩時間が12時から13時だとして、実際に13時1分まで休憩してたのに、「13時まで休憩してました」と申告したら嘘ってことになるんですよ。
社会の中で不妄語を厳密に守ろうとすると大変ですからね。
それで生きるのが比較的厳しくなったというのはあります。
身動き取れなくなっちゃって。
最初は完璧にやろうとしたんですけど逆に苦しくなっちゃいました。
殺生や意図して噓をつくことなどは絶対にしたくありませんが、現在はそれ以外の重箱の隅をつつくような細かい部分は社会に合わせてかなり緩めてますね。
それでも苦しくはあるんですけど。
社会に合わせると、そうならざるを得ない部分もあると思います。
でも、瞑想実践と仕事とのバランスという観点でいうと、最初期ほどの乖離は今はなくなっているかもしれません。
理由としては、瞑想法が変わったというのもやはり大きいと思います。
ジャーナを目指すサマタ瞑想一辺倒から、現れてくるものにただ気づいていくという瞑想法に主軸が今は変わっています。
四念処を基本として「アーナパーナサティ」をしばらくやって、ある程度の集中が現れてきたら『現れてくるものにただ気づいていく』モードに移行する、というのもやっています。
日常生活のなかのすべての動きに軽やかな気づきを伴わせようとする実践形式と言っても良いかもしれません。
瞑想法を変えることで仕事との折り合いがつくようになったということですね。
はい。以前は生活の中に瞑想があったんですけど、今は瞑想の中に生活があるという感じになりましたね。
例えば仕事をしている時に、呼吸のことは考えないわけです。
感覚に気づくとか、思考から離れるといったことはないんですけど、すべてに気づいていくという瞑想生活全体の中でみれば、仕事はそれだけに専念する遊びのような場であって、そこはそこで楽しくやっているみたいな。
仕事とは別でオフィシャルの瞑想時間はとるのですが、そうすると日々の坐る瞑想の時間はこれまでのように長く取らなくても大丈夫になったんですよね。
とはいえ、ストレスフルな残業が続くと限度もあるので、「退職へのカウントダウンがはじまった」と仲良い友人に嘯くこともあります(笑)
それは興味深い変化ですね。
今はあまり乖離を感じていないとのことですが、逆に以前は感じていたんですか?
めちゃくちゃ感じてました。
静かに呼吸だけに集中をするということと、仕事をすることにはあまりにも違いがあるので。
とはいいつつも、「なあなあ」で済ませるなら問題ないんですよ。ただリラクゼーションの時間が増えてるだけですから。
僕のやっていたジャーナを目指すような瞑想法とはなかなか合わないかもということですね。
リラックス程度なら問題ないが、真剣にやると話は変わってくるというわけですね。
僕が先生に指導されたのは、3時間とか4時間続けて瞑想しなきゃならないんですよね。
それも苦しさを感じる3、4時間じゃなくて、呼吸だけを対象にして、かつ安らかな状態が坐ったままずっと続くようなものでなくてはなりません。
それはすごいですね。
さすがにそれは働きながらだと難しいです。
とても才能があるひとは別ですけど、目指す方向性によっては色々考えなきゃいけないかもしれません。
おそらく、瞑想生活と仕事の間で乖離が生まれるのも、自分がやる「行」によると思います。
これから仏教とどう付き合うか
今後仏教とはどのように関わっていきたいと考えてますか?
うーん。正直なところ、模索中です。
これまではテーラワーダ仏教徒としてやってきたのですが、今はその枠組の中にいるのかもわからないです。
これまでのご経歴からするとかなり意外ですね…
(宗派などの)名前はこだわる必要はないかなって感じですかね。
どこに所属しているかは自己紹介としては重要ですけど、テーラワーダに完全にコミットしている人たちにも馴染めなくなってますし、かといって禅など大乗仏教系の人たちにも馴染めないですし…
実践している人との関係だけじゃなくて、教えの部分でもちょっと馴染めないな、と感じることもあります。
どこもしっくりこないと。
部分的に共感できるところはたくさんあるんですけどね。
無理に合わせようと思ったら合わせられるんですけど、それもちょっと違うなと思いますね。
今一番しっくりくるのは、ラマナマハルシや、ゾクチェンなどインド・チベット仏教寄りの言説かもしれません。
明晰夢やDream(Sleep) Yoga, Lucid Deep Sleepといったものにもとても興味があります。
今でも変化しているんですね。
どれも難しそうな分野ですが、また別の機会にお聞かせいただければ嬉しいです。
自分の精神遍歴を振り返ると、形だけみると仏教がたどった歴史がトレースされているような気がしています。
なんで大乗仏教がこれまでと違ったことを言い始めたのかとか、頭ではわかってたんですけど、すこし肌身で感じるようになってます。
気のせいかもしれませんが(笑)
仏教史の追体験!
仏教が現代にも生きている感じがします。
この前、会社から瞑想について記事を書いてくれと言われたので、書いたんですけど、けっこう好意的に受け止められました。
その後、個人的に瞑想の相談に来てくれる人も何人かいて、そういった人たちの力になれたらとてもうれしいですね。
「瞑想はビジネスに役立つ」みたいな感じで書いたんですか?
いや、そうじゃなくて、ちゃんと瞑想について書きました。
それが好意的に受け入れられたんで、変にずれているわけではないようです。
会社での僕のポジションは、「お隣りにいる頭のおかしい仏教に詳しい人」になってますね。
仏教に触れてどう変わったか
仏教に触れてご自身にどのような変化がありましたか?
僕の原体験でもあった大きな「渇き」はなくなりました。
それはすばらしいことですね。
いや、なくなったというよりも、問題にならなくなったといったほうが正しいかもしれませんね。
戒律ガチガチの中に入れば、また違うでしょうけど、少なくとも在家として生きていく中で、「渇き」が常に顕在化するような問題ではなくなりましたね。
その変化が一番大きいと思います。
問題がなくなるのではなく、問題ではなくなると。
まさにそんな感じです。
逆に解決できていない問題もあるんです。それは死の問題ですね。
常に背後にあります。死ぬことが怖いというよりも、遺伝子にプログラムされているような生への欲求ですね。
これはどうにもならなかったです。
ずっと死の問題がつきまとっていたんですか
瞑想で一瞬は解決したと思ったんですけど、その後ずっとその境地にはとどまれないわけですよね。
何がしたいわけではないんだけど、とにかく生きたいんだっていう強烈な情動には対応できなかったんです。
かなり根深いところのお話ですね。
そうですね。
今後の課題としては、死の問題をなくすとか、なくさないとかではなく、「渇き」のように問題ではなくなればいいなと思っています。
なるほど。今後の課題までお聞かせいただき、ありがとうございます。
これまでお話を聞かせていただきましたが、仏教との関わりをご自身で振り返ってみていかがですか?
いろいろありましたが、仏教をやって本当に良かったと思います。
アーナパーナサティや手動瞑想など気づきの瞑想を実践することによって訪れる静けさは、わたしを「渇き」や「さびしさ」から解放してくれました。
また、仏教を実践する中でできた友人はわたしの宝物です。
わたしにこの法を届けてくださった先達をはじめ、愛し育ててくれた両親、祖父母、そしてこうして生きることを手助けしてくださっている法友のかたがたにはとても感謝しています。
本日はとてもよいお話を聞かせていただきました。
ありがとうございました!
ありがとうございました!
- 企画・文・聞き手=道宣(@AreDosen)
- 校正・写真=遊心 (@honnebose)
- 話し手=うぱさま(@pannindriyap)
あとがき
うぱさまさんとは、いつも仲良くさせてもらっているのですが、今回は初めて聞くお話ばかりでした。
インタビューで印象に残ったのは、これからの仏教との関わり方を「模索中」と表現されたところでした。
変化の激しい現代社会のなかで、仏教と真剣に向き合う実直な姿勢に感銘を受けました!
ありがとうございました!
鏑矢からしてパンチつよすぎんか……?と思って笑いながらあとがきを書いています。 話をうかがったうぱさまさんとは、個人的な関係の近しさもあり、企画の第一弾として大変楽しくお話をお聞かせいただきました。
ある程度わかっていたこととはいえ、想像以上に骨太の仏教遍歴でしたね……!
本当に貴重なインタビューだったと思います。うぱさまさん、ありがとうございました!
記念すべきBonpuraの第1回にお声がけをいただけましてとても光栄です。
こういうPublicな場所で修行の内情を含めた私的なことを公開するのは恥ずかしいですが、以前から親しくさせていただいている仏アレさんおふたりが「おもしろい!」と仰ってくれたこともあり、たくさん楽しく喋らせていただきました。
この度は本当にありがとうございました!